たまには部屋をかたづけようよ

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自分が撮りたかったセカイ

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DMC-LX3 RAW現像
 たまたま朝早く目が覚めた日があった。その時、外は既に明るかったが、日の出はまだのようだった。

 窓から外を眺めると少し霧が出ていて、ふと自宅そばの公園の木々を見ると、それらが霧で霞んでいい感じに見えていた。
 自分は以前のエントリ記事(朝霧に霞む風景)でも書いたとおり、霧に霞んだ風景というものが好きなので、これは絶好のシャッターチャンスだと思い、ぜひ写真に残そうと思った。だがそういう時に限って、撮影に使おうと思ったカメラ(DMC-LX3)が見つからない。

 そうやって10分ほどカメラを探して外に出てみたら、既に日の出の時間は過ぎ霧も晴れつつあり、元々それほど濃い霧でなかったということもあって、先ほどの霧の風景はすっかりなくなってしまった。
 しかしせっかく朝早くから写真を撮るために外に出てきたというのに、何も撮らずに自宅に戻るのは悔しかったため、本来自分が撮りたかった写真の代わりに、同じく木々を主役にして撮ったものが冒頭の写真だ。

 ただ、この写真だけ見ると、さぞかし外は暗かったのだろうと思われるかもしれない。
 でもそうじゃない。先ほども書いたとおり、既に朝日が昇ってきていたため外はすっかり明るかった。

 ならば、なぜこんなに暗いのかというと、それは”意図して暗く写した”からだ。
 そして、それによって(曇り空ではあったが)昇りつつある朝日をバックに、木々のシルエットが浮かび上がるような写真を撮ることが出来た。

 この時もし露出をカメラ任せで撮っていたら、周りも明るく写ってしまって、木々が主役どころか、何の変哲もないありふれた写真になってしまっていただろう。
 故にこの写真は、実際にその場で見たままのものではない。あえて言うなら”偽りの風景写真”だ。

 しかし常に見たままのものや、真実を写すばかりが写真ではないし、何よりそれだけではつまらない。

 カメラ任せにすることによって撮らされる写真より、自分が意図して露出をコントロールし、自分が望む写真を撮る。
 それによって時には今回のように偽りの写真になってしまうかもしれないが、それが自分が意図したとおりのものであれば、偽りなどではなく写真における表現方法の一つとなるのだ。

 今回はその偽りの写真こそが、自分が霧に霞んだ風景の代わりに撮りたいと思った写真。
『自分が撮りたかったセカイ』だった。


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