祖父母の家にあった祠の話
IXY 600F
この祠は自分の通勤経路の途中にある祠だが、この時は最初からこの祠を撮ろうと思っていたわけではない。
信号待ちをしている時にふと目に留まり、気が向いたので写真に収めてみようと思っただけだった。
しかし何せ通勤途中であまり時間がなく、何も考えず撮影してしまったため、いったい何を主体として撮りたかったのかよくわからない写真になってしまった。
せっかく撮影したというのに、時間的にも、被写体的にも、非常にもったいないことをした。
だから写真そのものは気にしないで欲しい。その代わり、祠つながりで自分の昔話を語ってみようと思う。
#要は、これが言いたかっただけ(笑)
自分がまだ小学校低学年のころ、祖父母の家に小さい祠があった。もっとも冒頭の写真のような立派なものではなく、よく個人の家に置いてあるような小さいものだ。
敷地内の片隅にそれはあったのだが、最初それを見つけたとき『なんでこんなところに神社*1があるんだろう?』と思ったことを今でも覚えている。
それと、まるで祠を隠すかのように周りに竹が生えていて祠の付近が薄暗かったこともあり、若干近寄りがたい雰囲気があった。
そのため幼いながらも『ここは何か特別な場所なんだな』と思ったことも覚えている。
それ以来、自分にとってそこは”なんか近寄りがたいけど、すごく興味を惹かれる場所”として、祖父母の家に行く度にちょこちょこ見に行っていた。
ただ、そこに行ったからといって特別何をするわけでもなく、毎回遠目に眺めるだけで終わっていた。
そして祠を遠目に確認して『今日もちゃんとあった』と思い、自分は安心するのであった。
もちろん祠があって当たり前なのだが、確認しないと気が済まないというか、落ち着かないのだ。
それだけ子ども心に興味を惹いたという証だったのだろう。
今思えば、以前のエントリ(子どもの頃の神社の思い出)でも書いたとおり、自分の神社好きはここから始まったのかもしれない。
現在、その祠はもうない。10年ほど前に祖父母の家を新築建替えをした際に、ご祈祷してもらい祠をなくしてしまったからだ。
しかし今でも祖父母の家に行く度に(もう当時の面影は全然なくなってしまったが)祠が置いてあった場所に行き、幼い頃に『特別な場所』と感じた時の気持ちを思い出す。
そして、その祠は幼い頃の懐かしい思い出として、自分の記憶の中に永遠に残り続ける存在であることを改めて認識するのであった。
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*1:幼かったため”祠”という言葉を知らなかった