また一つ思い出の物がなくなってしまった
ここは母校の中学校があった場所だ。
この中学校も津波被害を受け、その後使うことができず放置されていたのだが、被害が酷かったので修繕するより建て直した方が安くすむということで先月取り壊され、今は写真のとおり更地になってしまっている。
新しい校舎が完成するのは14年9月らしい。なので、もう間もなく新築工事が始まるかと思う。
取り壊されたことは知っていたのだが、訪れたのは今回が初めてだった。
予想していたこととはいえ、実際に校舎がなくなってしまった姿を見ると、さすがにショックが大きかった。
今は無きこの中学校に通った3年間にも、いろいろな思い出があった。
部活の練習がきつかったこと、文化祭でいろんな催し物を出したこと、他にもいっぱい思い出が詰まっていた。
その校舎は、今はもうない。
いくら新しい校舎ができて形は元に戻ろうとも、自分にとっては解体されてしまった校舎こそが自分の思い出であり、もうそれは永遠に戻ってこない。
また一つ思い出の物がなくなってしまった。
こちらは津波被害によって壊されてしまった祠だ。
現在は周りは雑草だらけで当時の面影はまったくなく、唯一残っているのはこの瓦礫と化してしまった祠と、写真には写っていないがこのすぐ隣に小さな(と言っても高さは3mくらいあるが)鳥居があるだけだ。
以前はこの祠のそばに公園があって、子どもの頃その公園によく遊びに訪れたものだった。
その公園も取り壊されてしまい、今はもうない。
だが、公園がなくなってからも、ここには何度も訪れている。今回もそうだ。
何度訪れようとも、ここにはこの壊れた祠と鳥居が残っているだけで、自分が遊んだ公園が戻ってくることはないことはわかっている。
それでもなぜ何度も訪れてしまうのか、今まで自分でもわからなかった。
だが今回、中学校の校舎がなくなって初めて、その理由がわかった。
「たとえ物は残っていなくともこの場所には今でも自分の思い出は残っている」
そのことを確認するために無意識に訪れていたのだ、ということを。
だから物理的にこの場所がなくならない限り、自分はこれからもこの場所を訪れ続けることだろう。
そして、そういう場所として、上記の中学校が加わったことは言うまでもない。
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