家族に話すことの大切さ
このエントリは自分一人のプライバシーだけでは済まない内容なので、書くべきかどうか非常に悩んだ。
しかし、どうしても伝えたかったことでもあるので意を決して書く。
そのくらい強い想いであるということが、ほんの少しでも届いてくれることを信じて。
ストレス要因になりうるものにはいろんなものがあるが、ほとんどは自分一人では解決できないことの方が多い。
そんなとき大抵の人ならば、家族や親友、同僚など気の置けない仲間に話を聞いてもらったりするだろうが、大概は話をしても解決できなく、結局は愚痴を言うだけで終わってしまうこともある。
「話したって解決しないことはわかっているよ。でも誰かに話さなきゃ気が済まないんだよ」
そうやって大抵の人は人に話すことによって(仮に本人は意図していなくとも)心のストレスを発散する術を持っている。
「話す」ということ。
それは生物ゆえの特権、言い換えると本能だ。人間に限らず、動物ですら鳴き声で相手とコミュニケーションを取っている。
しかし、自分にはそれが出来なかった。
ストレスがたまっているにも関わらず高いプライドのせいで、人に相談すること、弱音を見せることを一切しなかった。
そのことで徐々に精神的に追いつめられていったわけだが、ストレスを吐き出す術を持たなかった自分のせいで一番被害を被ったのは、他でもない大切な家族である妻だった。
辛いとき、苦しいときこそ、最初に話すべき相手が妻であるのに、自分のプライドのせいで何も話さなかった。本当なら妻だって、唯一の家族である自分にそういった相談をたくさんしたかったことだろう。
以前のエントリで「いつもどおりかっこいい自分を演じて、表面上はまったく問題ないように見せていた」と書いたが、いつもそんな状態で自分から何も話さないものだから、妻からはいつも「悩みなんてないんでしょ」と言われていた。
そのため当然の結果として、妻からは”そんな相手に相談しても無駄”という空気が出来てしまった。
しかし、話はこれだけでは終わらない。
話すことによってストレスを吐き出す術を持たない自分によって、ストレスのはけ口は全て妻に向けられることとなった。ちょっとしたことで怒鳴り散らしたり、物をぶつけたり、それはもうひどいものだった。
もっと早くつらいことや、苦しいことを話しあってさえいれば、自分ばかりでなく、妻も精神的に追い詰められることは絶対になかった。
実は、妻にはまだ直接謝ることが出来ていない。
今さら過去のことを言っても遅いのだが、本当に妻には迷惑をかけた。どんなに謝っても謝りきれないし、今さら謝っても無駄であることも、わかりきっている。
謝ることによって、許してもらおうとか、許してもらえるなどとは微塵も思っていない。
でも、こんな文章ではなく直接言葉で謝らなければならない。その決意をこめてこのエントリを書いた。
最後になるが、今さらになって思う。
もっと早く気づくべきだった。家族に話すことの大切さを。