千年希望の丘に登って写真を撮ってきました
千年希望の丘(ほぼ完成?)
前回のエントリ(5/15)時点では工事中だったので、遠くからしか希望の丘の写真を撮れませんでしたが、今回は工事業者の方からの了承をいただいて、実際に希望の丘に登ってみることができました。
工事業者の方、大変ありがとうございました。
DMC-LX3 RAW現像
メモリアル樹望式の補足
岩沼市の公式HP千年希望の丘の「千年希望の丘プロジェクト メモリアル樹望式(きぼうしき)」に「樹望式」リーフレット」.pdfのリンクがあるのですが、このPDFの内容は古いです。
最新は「広報いわぬま「6/9(日)メモリアル樹望式を開催します(P24)」を参照してください。
これによると
・「当日の参加も可能です。詳しくは問い合わせ先まで。」と書いてあり、
・イベントゲスト(予定)にはデューク更家さん、むすび丸、あと、なんと「くまモン」も来るそうですよ!
(予定)ってのが気になりますが、個人的には生でくまモン見てみたい!
#13/6/9補足
メモリアル樹望式当日の様子はこちらにアップしてます。ちゃんとくまモンにも会えましたよ!
→「千年希望の丘プロジェクト「メモリアル樹望式」に行ってきたよ」
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{千年希望の丘}
置いてきぼりの木馬
DMC-GF1 20mm RAWモノクロ現像
周りには雑草が生い茂った荒地の中、ぽつんと残された木馬。
震災以前ここにはアパートがあり、この木馬はそのアパートの小さな遊び場に設置されていたものだ。
だが今は津波で被災したアパートは取り壊され、周りはただの荒地になってしまっている。
そんな中、なぜそうしたのかはわからないが、この木馬だけが残されたままになっていた。
以前は、毎日のようにアパートに住む子ども達に遊んでもらっていたであろう木馬。
時には子ども達同士で取り合いになるくらい人気があったかもしれない。
しかし今は、まるで子ども達に置いてきぼりを食ってしまったかのように、荒地の中に佇んでいるだけだ。
おそらく、このまま誰にも見向きもされず忘れ去られた存在となり、あとは風雨にされされ朽ちていくのを待つだけだろう。
自分にはこの見捨てられたようにしか見えない木馬にひどく悲しさを感じ、同情を禁じえなかった。
だがその時、木馬が自分にこう語りかけてきたような気がした。
僕がここにいるのには理由があるんだよ。
もし僕がここからいなくなってしまったら、子ども達が僕のことを探しに来た時に、見つけることができなくて悲しい想いをさせてしまうよね。
前と同じ場所にさえいれば、すぐに僕を見つけてもらえる。だから僕はここにいるんだ。
そして、また昔のようにいっぱい遊んでもらうんだ。
そのために僕はずっとここで子ども達が戻ってくるのを待ち続けるつもりだよ。
自分はそれが永遠に叶わぬ夢だということを知っている。実は木馬自身もそれに気づいているかもしれない。
それでも木馬はここで待ち続けるのだろう。
子ども達の笑顔に再び出会えることを信じて。
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復興の光と影
ここは仙台空港のすぐ隣にある貞山堀という川の護岸ブロックの現在の姿だ。震災から2年以上が経つというのに、未だに壊れたままとなっている。
もちろんこのブロックの修繕よりも優先すべき場所があり、こちらに手をつける余裕がまだないということもあるのだが、逆に言えば2年経ってもなお、その余裕ができないという事実に震災の被害の大きさを再確認させられ、とてもやるせない気分になる。
一方、仙台空港では今や震災以前の活気を取り戻している。
以前のエントリでも紹介したように、建物内部は震災前と変わらぬきれいな状態へ戻っているし、搭乗手続きフロアにはたくさんの旅行者で賑わっていて、着実に復興してきていることを実感できる。
復興へと向かっている仙台空港と、復興から忘れ去られてしまったかのような壊れたままのブロック。
それはまるで、復興の光と影のごとく対照的だ。
早くこのブロックにも復興の光があたってほしい。その時こそが本当に復興が叶った時だろうから。
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津波に流されてしまった大切な思い出の場所
今日は、ちょっとした用事があって実家に行ってきた。
実家は、自分の家よりもさらに海沿いに近かったため、東日本大震災の津波被害は自分の家よりもひどく、1階の鴨居の上まで海水に浸かり、1階の家財道具は全部使い物にならなくなった。
でも、実家からほんのちょっと海沿いに行ったところは、家そのものが流され、なくなってしまっていたから、実家は建物が残っていただけましだったのかもしれない。
実家周辺はかろうじて非居住地域には指定されなかったため、自分の両親は実家を修繕し住みなおしたのだが、近所の人たちは元の場所には戻らない覚悟で、津波被害に何とか耐え残った自宅を取り壊し更地にしてしまった。
そのため、実家周辺にあった家は今やものすごく減ってしまい、まわりが空き地の中、実家だけがぽつんと建っているような状態になってしまっている。
自分がジャングル探検ごっこをした松林の森や、いつも友達と暗くなるまで遊んだ公園など、小さい頃の思い出がたくさん詰まっていた場所も、全て津波で流されなくなってしまった。
そんな何も残っていない風景になってしまってから、もう2年以上が経つというのに未だにその変貌振りには慣れない。
だが、自分から「慣れること」は絶対にしないだろう。
なぜなら建物や思い出の場所は津波に流され、なくなってしまったが、だからといって小さい頃の大切な思い出まで津波なぞに流されてたまるか、という想いがあるから。
そんな気分を晴らすためというわけでもないが、実家で母が育てている花の写真を撮ってきた。
以前の実家は母が丁寧に庭の手入れをしていたので、それはもう庭いっぱいに木々や花々が植えられていて、きれいな庭だった。
現在は建物こそ修繕は終わっているが、庭の再建にまでは至っていないため、花々はプランターにちょっとだけ植えてあるだけになっている。
いずれは以前のように・・・、いや、それ以上の庭に戻ってくれる日を、今から心待ちにしている。
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仙台空港の就航再開時に撮った写真と同じ場所を撮ってきました
前回のエントリ「千年希望の丘の工事現場を見てきました」で、2年前の仙台空港の写真を載せましたけど、その場所とほぼ同じところの写真を撮ってきました。今は本当にきれいになって着実に復興してきているのを実感できます。
建物は変わってしまっていますが、以前のように営業再開しています。 以前は何も残っていませんでしたよね。今はこんなにきれいにツツジが咲いているんですよ。 震災前のように、ちゃんと駐車場として営業再開しています。 ここもがれきだらけでしたよね。「2年前の震災直後」の惨状を知っているからこそ、今のこの光景を見ると本当に胸が熱くなります。
いずれも、みんなの復興にかける強い想いが成し遂げた成果ですよね。
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千年希望の丘の工事現場を見てきました
まず、13/6/9(日)の「千年希望の丘プロジェクト メモリアル樹望式」に向けて、復興への想いをより一層深くしてほしいという願いをこめて、数枚の写真を載せたいと思います。
それは2年前の仙台空港にとって記念すべき日の写真です。
'11/4/13 震災後、仙台空港が就航再開した日
写真を撮ったのは夕方近くです。 津波で流され何もなくなってしまっている。 就航再開したと言っても、ご覧のとおり周辺は、まだがれきが残っていた この時、強く思ったことがあります。
今はこんな状態だけど、ここから絶対に復興してやるんだ。
いつまでもその時の気持ちを忘れないようにしたい。そういう気持ちをこめて写真に残しました。
今は建物も再建出来て、きれいになっているので当時の状況は想像もできないですけど、たった2年前はこうだったということを、ぜひ覚えておいてほしいです。
#13/5/17追記:上記場所の現在の写真を撮ってきました。ぜひ見てやってください。
現在の仙台空港
ところで話は現在に戻って、今日はこのエントリを仙台空港で書いてみようとポメラを持って出かけました。
ちなみに自分が使っているポメラのDM5*1ってこんなやつです。
KINGJIM デジタルメモ「ポメラ」 DM5コ- ピンクゴールド
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ノートパソコンと比較にならないほど、軽いし、小さいし、電池の持ちがいいので重宝してます。
そういや、はてな記法って慣れると便利ですね。ポメラみたいな単なるテキストエディタでも、HTMLタグをあまり意識する必要なく、そのテキストをそのままコピペするだけでブログアップできるから。
#何気に今amazonで値段調べてみたら\5000かよ!自分が買った時2万くらいしたのに・・・。ショックすぎるorz。
- 閑話休題-
すみません。話が横道に逸れすぎました・・・。
仙台空港周辺
まず、方角的には北側へ向かってみました。
仙台空港隣の川は「貞山堀」というんですが、土手も壊れたままのところがたくさんあります。フィルムカメラ
実は今日、震災以来初めて来たのですが、昔はここにもよく遊びに来ていたので、あまりの変わりようにショックを受けてしまいました。 ここは下増田神社といいます。周りが何もなくなっている中ぽつんと残っているのが寂しげでした。 今はお参りする人も少なくなってしまっているのだろうけど、これからも神社を守ってください。
あと、1日でも早く周りが復興できるようお祈りしてきました。
千年希望の丘(工事中)
やっと本題の工事現場です。以前のエントリの際は工事中だったこともあり近づくのを自重したけど、今日はちょっと勇気を出して*2もっと近くまで行ってみることにしました。
この丘は、正確には「千年希望の丘」の「モデル丘」らしいのですがピンと来ないので、おれルールで「千年希望の丘」と呼ぶことにします。 前回は気づかなかったけど、こんな看板がありました。 これなんだろう?ぱっと見のイメージでは献花台のような感じだけど。震災の爪痕、続き
この前は撮らなかった写真ですが、ついでだったので撮ってきました。
ちょっとした癒し
最後は、このお地蔵さんで癒されてください。【同カテゴリー記事】
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13/6/9に岩沼市の「千年希望の丘プロジェクト メモリアル樹望式」があります
#13/6/24補足:
メモリアル樹望式から2週間後の現場写真の記事をブログにアップしました。
→千年希望の丘プロジェクト メモリアル樹望式から2週間後の様子
#13/6/9補足:
メモリアル樹望式に参加した時の記事をブログにアップしました。
→千年希望の丘プロジェクト「メモリアル樹望式」に行ってきたよ
#13/5/31補足:
希望の丘は5/31時点でほぼ完成していました。こちらをご参照ください。
→千年希望の丘に登って写真を撮ってきました
ページ下にあるリンク(岩沼市ホームページ)のリーフレット.pdfの内容は古いです。
最新は「広報いわぬま「6/9(日)メモリアル樹望式を開催します(P24).pdf」を参照してください。
これによると
・「当日の参加も可能です。詳しくは問い合わせ先まで」と書いてあり、
・イベントゲスト(予定)にはデューク更家さん、むすび丸、あと、なんと「くまモン」も来るそうですよ!
(予定)ってのが気になりますが、個人的には生でくまモン見てみたい!
震災の爪痕
仙台空港を訪れたことがある方はお分かりかと思いますが、今でも仙台空港周辺は荒地のままです。
以前は家などが立ち並んでいたので、この場所からは仙台空港は見えなかったんですけどね・・・。
地元民ですら、だんだん記憶が薄れてきていて「ここには何があったんだっけ?」と思うときがあるくらいなので、元を知らない人からすると「元からこういう風景だったんだ」と思われても仕方ないくらい、何もなくなっています。
今はもう営業はしていなくて、売ビルの看板がついていました。
自分は行ったことがなく記憶が曖昧なのですが、最上階にレストランがあって仙台空港を眺めながら食事が出来たような気がします。
周りにがらくたが散らばったままになっていたのが、より一層物悲しさを語っていました。
以前はこの橋は歩行者用の橋だったのですが、今はこの地域一体が非居住地域に指定されたため、もう使われることはないでしょう。いずれは撤去されてしまうと思います。
千年希望の丘プロジェクト メモリアル樹望式について
13/6/9(日)10:00から「千年希望の丘プロジェクト メモリアル樹望式」があるのですが、その会場となるところへ向かってみました。
式までは1ヶ月あるので、現場はまだ工事中でこれ以上近づくことが出来ませんでした。
なお「千年希望の丘プロジェクト メモリアル樹望式」についての詳細は、こちら(岩沼市ホームページ)を参照してください。(このリンク先の情報は古いので、冒頭にあるリンク(広報いわぬまのpdf)をご参照ください)
自分も都合がつけば行ってみようと思っています。
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・(5/31時点ほぼ完成していました)千年希望の丘に登って写真を撮ってきました
・仙台空港の就航再開時に撮った写真と同じ場所を撮ってきました
・(再度行きました)千年希望の丘の工事現場を見てきました
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